ジャズ・シンガー 栃まりさん

NY滞在暦:4年
出身:日本

ジャズ・シンガーの栃まりさん。脱サラしてジャズに転身という意外な経歴をお持ちのシンガーさんです。ジャズの本場NYで挑戦し続けていらっしゃいます。歌うことだけでなく、ダンスなど多方面でもご自身を磨いていらっしゃる方です。

 

 

 

 

 

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取材を終えて:
実は、私の大学の先輩のまりさん。取材中は、ある詩からインスピレーションをもらい作詞作曲された曲を、突然口ずさまれたので、2人で楽しい雰囲気に浸ってしまいました。今後も素敵な曲をたくさん世界に広めていって頂きたいなと思います。
(Hiroko OKURA)




ジャズを始められたきっかけは?

幼い時からエレクトーンを習っていたり、少年少女合唱団に所属していたので、音楽はずっとやっていました。11歳の時、地元の“のど自慢大会”で優勝したこともあります。
大学2年の時は、大学のカラオケコンテストで準優勝をもらいました。普段の生活では、カラオケでブイブイ言わせてて。(笑)

2年生後期から留学したネブラスカの大学で聖歌隊に所属した時ジャズに出会いました。
帰国後もやりたいなと思ってた矢先、ゼミの忘年会で歌を披露したら、ジャズ・サックスをしている人が歌ってくれる人を探していて、それが縁でサックスプレーヤーのローラン佐藤先生に師事しました。


NYに来られたきっかけは?

元々は日本で大学卒業後、出版社で働いていました。
ジャズをやりたいという気持ちは持ったまま、イベントで歌ったりと2足のわらじを続けていましたが、一度きりの人生だしって思って、編集はやめて歌を本格的に仕事にし始めました。
日本で歌ってて、「英語うまいなって言われても、なんかこれ違うなー」って思ってたある時、千葉にある老舗のジャズのお店のオーナーが、借金してでもNYに行きなさいって言われたんです。
その後、山形の「ジャズのお父さん」で、スイングガールズの資料提供もされている、相沢さんのジャズツアーについてNYに来たのを機に決断しました。ただ、テロの関係で厳しかったので、ボストンのバークレー音楽大学で勉強してから、卒業後NYに移ってきて、表現力を磨こうと思って、ダンス学校で勉強したりしつつ、アーティストとして活動を始めました。



来てみてどうでした?

生活に慣れるのに2年位かかりましたね。
時々NYの繊細さに欠けるところには傷ついたりもしました。日本人は、言葉のウラを見れるセンサーを皮肉にも持っているのかなーって。
でも、ここで生活していると人生無駄がない感じです。
周りの人は皆、アプリシエイト=ちゃんと評価してくれるし、年齢に関係なくやりたいこと追求しやすいです。
今、NY5年目ですが、1ヶ月が1年くらいの重みで過ぎていく。すっごく早い。でも、濃い。

生活していて、気づいたことは、レストランの質。おいしい所とそうでない所が、天と地の差。私は自炊が一番!
あと、落とし物預かり場所が一応あるけれども、しっかりしてない。NYでは、一度手元を離れたら奇跡がない限り戻ってこないですね。
あとは、髪型が短いと、レズと思われることかなー。(笑)


今はどのように活動されているんですか?

自分のオリジナリティを出したいと思って、編集時代からしていた作詞と、作曲もしてます。作詞は英語・日本語両方ですね。自分の曲を自分で歌っています。
渡米前に、民謡・和太鼓・茶道と日本文化を探求してみて、それを生かして、民謡とジャズを融合させた音楽作りをしています。


今後の活動のご予定は?

マイペースに、オリジナル曲を増やして、作詞作曲を続け、自分を表現していきたいですね。秋ごろにレコーディングをするので、それに向けた曲作りが間近な目標です。納得あるレベルに到達するまではジャズの本場で刺激をもらいながら、やっていきます。ヨーロッパは興味があるし、地元でもやりたいですね。


最後にメッセージをお願いします。

目的意識をもっていれば、世界中ドコに行っても大丈夫。柔軟な態度と五感を働かせて一生懸命やれば、道は開ける。

アメリカにこだわる必要はないですね。日本ではアメリカのいい面ばっかり見えたり、プロパガンダな部分もある。中にいると差別があったり、歴史的に若い国で、考えが深くなかったり矛盾があったり…。
逆に ヨーロッパの人とはフィーリングがあう面も多いし、精神的に共有できたりもします。あくまで個人的な考えですが。

とにかく世界的視野でこれからの人生を選んで行ってください。